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執筆者の写真嘉孝 井上

臨床心理学について

更新日:2022年8月18日

専門的な訓練を受けたカウンセラーは「臨床心理学」という学問を基盤としています。臨床

心理学とは,こころの悩みや問題を抱えた人に寄り添い,その解決を見出そうとする学問です。つまり,研究室に閉じこもっているのではなく,悩める人の傍らにいて,一緒にその問題に取り組んでいくことが求められています。


また,臨床心理学は心理学の一分野として位置づけられることも多いのですが,一般的な心の仕組みや全体的な傾向を明らかにしていくことを目指す数多くの心理学の分野と,何よりも個人,ひとり一人の人生と悩みごとに深く関わっていく臨床心理学では,スタンスが若干(しかし決定的に)異なっているといえます。


さらに,ひとり一人の人生と悩みごとに深く関わっていく際,それはクライエント(来談者)だけの問題ではなく,カウンセラーの個性・人格,そして両者の関係性が必然的に大きく作用してきます。これは,研究対象と研究主体を切り離して成り立っていると考えられている狭義の「科学」とは大きく異なった臨床心理学の特徴です。


もちろん,臨床心理学も学問である限り,広い意味での「科学」であるわけですが,理論と実践,主観(関係性)と客観(第三者性)などの隔たりを架橋することが求められています。このあたりの議論については,拙論 井上嘉孝(2022):臨床心理学における文献研究の専門性と独自性について,京都文教大学臨床心理学部研究報告,第14集,pp8‐24.をご覧いただけると幸いです。<京都文教大学学術情報リポジトリ


さて,私たちの悩みごとは,周囲の人や出来事との関わり合いのなかで生じ,簡単な言葉で切り捨てることができないからこそ自分自身にとって悩ましく,苦しいものになります。そうした悩みごとを抱えると,私たちはうまく動けなくなったり,上手に自分自身をコントロールできなくなったりします。


哲学者の中村雄二郎は,近代社会において普遍性・論理性・客観性という武器を持った「科学の知」が果たしてきた重要性を十分に認めつつも,それが見落としてきた側面を「臨床の知」として明らかにしました(『臨床の知とは何か』岩波書店)。そして,中村によれば「臨床の知」がもつ特徴は,コスモロジー・シンボリズム・パフォーマンスの三点にまとめられています。


すなわち,コスモロジーとは,私たちが生きている世界は自分と無関係なものでは決してなく,自分との関係性のなかで現れてくるということ。シンボリズムとは,その意味は決して単純で一義的なものではなく,多層的で多義的であるということ。パフォーマンスとは,そうした世界とその意味は私たちが日々生きている行為のなかにあるということ。


だいぶ単純化して書きましたが,これら三つの特徴は,先ほど述べた私たちが悩みごとを抱えたときの状況と非常に合致しているように思えます。このように考えてみると,悩みごととは,私たちが自分の生きる世界にコスモロジー・シンボリズム・パフォーマンスを回復させるきっかけといえるのかもしれません。医学や福祉が私たちの悩みや苦しみ,不安の解消を目指してきた営みだとすれば,臨床心理学は,それらネガティブなもののなかに新たな意味を見出そうとするのです。


「不安を解消せずに何がよいのか」と思われるかもしれません。もちろん,不安を感じたとき,すぐに解消できるのも悪いことではないでしょう。でも,ちょっと想像してみましょう。例えば私たちが明日の学校や職場で不安に感じることがあって,それを誰かに相談したとき,その相手があなたの不安をすぐに解消しようとして,お休みの連絡をしてしまったとしたら,あなたはちょっと困るのではないでしょうか?これは少々極端な例ですけれども,私たちは不安なことや悩みごとをすぐに安易に解消すればよいとは思っていないからこそ,誰かに相談するということがあるようです。まずはそれをじっくりと聴いてほしいのです。


悩みごとを単純に切り捨てず,それと関わり,それによって自らの行動を見つめ直していくということは苦しい道のりでもあります。しかし不思議なことに,自分一人だけで悩むのではなくて,その悩みごとの意味をじっくり捉えていこうとする誰かとともに<それ>と取り組んでいくと,自分自身は大きく変わり,悩みごとの意味もずいぶんと変化していくということが珍しくないのです。つまり「カウンセリング」「心理療法」という方法は確かに役に立つということ,これこそ臨床心理学によって歴史的に明らかになってきたことです。


このような「カウンセリング」「心理療法」のプロセスを,ユング Jung, C. G. は錬金術の過程になぞらえました。錬金術とは,古代から中世における前近代的な化学で,卑金属を貴金属に変容させる技法として研究されてきたものでした。実際,錬金術によって卑金属から貴金属を作り出すことはできませんが,ユングはそのプロセスを象徴的に解釈しました。つまり,取るに足らない卑しく悩ましい<それ>が,錬金術師とその助手の二人による時間をかけた協働と鍛錬の過程によって,貴重な<価値あるもの>へと変容していくのです。


繰り返しになりますが,自分自身の悩みごとに取り組むという作業は苦しいものです。しかし,じっくりと取り組んでいくとき,そこには自分にとってのほかならぬ大切な価値が見えてくることがあります。今は「悩ましい」ものとして訪れたその意味を,ぜひ腰を据えて一緒に探求してみませんか。



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