天の海に 雲の波立ち月の舟 星の林に漕ぎ隠る見ゆ (柿本人麻呂 万葉集 第七巻1068)
大学院の研究会で、「日本人の心の故郷」とも呼ばれる奈良県・明日香村に行ってきました。今回は高松塚古墳,石舞台古墳,岡寺,飛鳥寺,水落遺跡と,古代の都・飛鳥を巡ってこころの深層を考えるフィールドワークです。
高松塚古墳は、極彩色の壁画が有名です。東西南北にはそれぞれ青竜、白虎、朱雀、玄武という四神が、すなわち方角・空間を司っている霊獣が豊かなイマジネーションによって描かれています。また上方の天井部分には日月星辰が描かれていることからも、この壁画は古代におけるコスモロジー(宇宙観)を象徴するものだといえるでしょう。
さらに、水落遺跡は「漏刻(ろうこく)」、つまり水を利用した「時計」が日本で初めて作り出された場所だそうです。ここにおいて私たちに「時間」という概念が生まれた、というわけです。今では当たり前の「時間」ですが、あるとき生み出され、作り出されたものであったというのは、とても興味深いですね。
これらの遺跡からは、古代日本において、この世における時空間という秩序が生み出され、形作られていった様子が垣間見られるようでありました。歴史的に言うと「中央集権国家とその制度の成立過程」ということになるのでしょうが、時空間の概念が定まっていくプロセスは精神史的な展開とも考えられるかもしれません。乳幼児には時間の見通しもなければ、生きている空間も限定的なのですから。
古代の都も、今はのどか。京都では住宅が所狭しとひしめきあっていますが、明日香村では家々の境界も薄く、空も土地も空気も時間の流れもゆったりとしているようです。
そのゆったりとした時間と空間の広がりとは対照的に、石舞台の中や、岡寺の「奥の院」である岩窟の中などに入ってみると、ぐっと雰囲気が濃密に変化するようです。その「奥の院」には弥勒像が安置されていました。弥勒菩薩は、京都・太秦にある広隆寺の半跏思惟像がとくによく知られていますが、はるか遠い未来において人びとをどのように救うべきか考えこんでいるのだと言われています。
籠る場所は、さながらカウンセリングルームのように、こころの内をのぞき込み、思惟することに適しているようです。岩窟の中でぼんやりしたあと、外に出て、ひんやりとした空気と水に触れますと、意識が現実に戻ったような気がします。籠ったあとは、こういう切り替えの仕掛けも大切なものでしょう。
こうして興味深く歩き回って、考えていると、いつのまにか歩行距離は10㎞を超えていました。そしてこの日は、あいにくの雨模様でもありました。
しかし、何でも悪いことばかりではなく、良い面もあるものですね。
雨の中、空気は草木のにおいに満ちて濃く、ツバメとその雛、カタツムリやイモリ、亀にカエル等々、道中でたくさんの生き物にも出会うことができました。今はのどかな土地ですが、そういう生き物の姿を見ていると、むしろ逆に、往時の繁栄が偲ばれるようでした。
人びとの心のあり方は、時代によって大きく変化したところもあれば、不変・普遍のところもある。そうしたことをふと意識・無意識的に感じられるからこそ、飛鳥は「心の故郷」と呼ばれ、原風景のように感じられる場所なのではないでしょうか。
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