今年の夏はたいへんな猛暑です。みなさま,熱中症や体調不良には十分にご注意ください。
さて,もう二か月も前の話ですが,大学院生さんたちと大阪歴史博物館の特別展「異界彷徨」に行ってきました。
古今東西,人間たちが生み出してきた「異界」のイメージはこころの深みを考えさせてくれる非常に豊かな素材です。夢や箱庭などのさまざまなイメージと取り組んでいく心理士にとっては,ファンタジーやイマジネーション,あるいは文化や民俗領域に関する学びもたいへん重要なものです。
展示はどれも興味深いものばかりだったのですが,そこで河童について下記のような面白い説明がありました。
「河童は山に入ると山童に変ずる(…中略…)河童には水域と山を行き来する水神の性質がある」というのです。
つまり,それは川においては河童として,山においては山童(やまわろ)として,さまざまに変化する「何か」のイメージであり,その性質は神聖なものにも通じている,というわけです。ときに引きずり込まれて流されそうになり,ときにいかんともしがたく,それでいて尊いものと表現してもよいかもしれません。
「妖怪とは零落した神である」としたのは日本民俗学の父 柳田國男(『妖怪談義』)です。しかし,それに対して妖怪研究で名高い 小松和彦は「神→妖怪」という一方向的な視点のなかに進歩主義的なバイアスを見てとりました(『憑霊信仰論』)。そして,柳田の仮説は動物や人間が妖怪に変化するなど,妖怪のもつ多様な可能性を排除していると鋭く指摘しています。
小松は,私たち人間が必要としてきた妖怪のイメージを,時代の推移や人間との関係においてさまざまに変化するものとして,両義的・多義的な表象として,多方向的な変化の様相として捉えようとしています。臨床心理学・深層心理学の立場からすれば,そのように変幻自在の妖怪たちは,自分のものであって自分のものでないような,知っているようで常に未知のものである「こころ」の現れとしてぴったりなのかもしれません。
ちなみに「異界彷徨」の数多い展示品のなかでも,皆が口をそろえて「一番怖かった」と言っていたのは,文楽の人形や能の面でした。河童たちはどこかユーモラスですね。
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