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  • 執筆者の写真嘉孝 井上

五月病について考える

薫風の候、みなさんいかがお過ごしでしょうか。


ゴールデンウィークが終わり、今年も春が過ぎ去ろうとしています。

自然界の春は芽吹きや開花などのどかですが、人間社会の春はほんとうにあわただしいものですね。

新入生や新入社員の方は言うまでもなく、怒涛の四月を乗り切って、ゴールデンウィークでみなさんそれぞれにほっと一息だったのではないでしょうか。

そして、また学校や職場に戻ろうとするタイミングで生じてくるのが、いわゆる「五月病」です。


厚労省による『働く人のメンタルヘルス・ポータルサイト こころの耳』というウェブサイトには、五月病について以下のように記載されています。

「新入社員や人事異動など環境変化のあった方が、新しい環境への適応がうまくいかず、なんとなく体調が悪い、やる気が出ないなど心身に不調があらわれる状況を言われています。五月病は正式な病名ではありません。医学的には、「適応障害」、「抑うつ状態」などの病気と関係があるとされることが多いです。」

(「職場のメンタルヘルスケア 季節のコラム 5月 「五月病」とのつきあい方 https://kokoro.mhlw.go.jp/column/sea05/)

人間社会にとって、四月は大きな環境変化のタイミングです。

直接に身の回りでの変化が生じていなくても、周辺での慌ただしさは伝わってきます。

また、春から夏へと移り変わってゆく自然の気候にも私たちは適応しなくてはなりません。

多かれ少なかれ、五月には誰しも心身の疲れが出るのでしょう。

こうした軽度のうつ状態について、厚労省のウェブサイトに限らず、「予防」や「対処・治療」が大切である、という多くの指摘がなされており、ストレスマネジメントの方法などが記載されています。興味のある方はぜひ参考になさってください。


さてここでは、少し別の側面からも考えてみたいと思います。

児童文学者ミヒャエル・エンデは、中米のインディオたちの興味深い逸話を紹介してくれています。それは以下のようなお話しです。


遺跡発掘の学術チームに加わったインディオたちが、探検旅行の途中、突然動かなくなった。

綿密に予定を立てていた白人の学者たちはそれに困り、賃金を上げようとしたり、脅したりして何とか動かそうとしたが、彼らは無言で円陣を組み、座り続けた。白人たちがついにあきらめて二日が経ったとき、インディオたちは何も言わず一斉に立ち上がり、再び歩き始めた。

後日、この出来事について一人のインディオが次のように語った。

「早く歩き過ぎた。だから、われわれの魂が追い付いてくるまで、待たなければならなかった。」

(ミヒャエル・エンデ著・田村都志男訳『エンデのメモ箱』岩波現代文庫、p129-130)

「魂」などというと非合理的すぎると思われる方もいるでしょうから、ここではシンプルにそれを「こころ」と言い換えてみましょう。

現代社会は非常に効率的に、スピード感をもって動いています。

仕事だけでなく、余暇も同様です。

そのとき、いくら充実していても、どれだけ楽しくても、私たちは「こころ」をいくぶん置き去りにしてはいないでしょうか。 怒涛の四月、ホッと一息のゴールデンウィーク、私たちはどのくらい「こころ」が自分に追い付いてくるための時間を持っていたでしょうか。

このように考えてみると、五月病とは、あるいはもう少し広く捉えて「うつ」や「不適応」とは、予防したり治療したりする対象であるのみならず、私たちにとって大切な「こころ」(あるいは「魂」とでも言うべき何か)を「回復」させるためのものでもある、と捉えることができるかもしれません。


さらに別の言い方をすると、心身の不調や悩みごとに関して、その原因を探り予防・治療をするという考え方と、その目的や意味を捉えていこうとする考え方があります。

苦しいものごとを乗り越えていくためには、そのどちらの見方も大切です。


五月病で元気が出ない場合、それはもしかすると、自分の「魂」が追い付いてくるのを待つための時間なのかもしれません。



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