五山の送り火、手放すということ
ずいぶん久しぶりの更新となってしまいました。
2026年8月16日、五山の送り火を見てきました。
吉田山に登って、夜空にゆっくりと「大」の字が浮かび上がっていく様子を、周囲を埋め尽くした人びととともに、じっと見つめました。その静かな熱気の中に身を置いていると、不思議と胸の奥がじんわりと温かくなり、やがて次第に穏やかな気持ちになっていくのを感じました。
送り火とはお盆に迎えた祖霊を、再びあの世へと送り出すための火だと言われています。
送り火を体験して、ふと考えたことがありました。それは「手放す」という営みと、「誰かと共に見つめ続ける」ことの持つ意味です。
心理学では、私たちのこころの中には、意識ではとらえきれない大切な存在――亡くなった人、過ぎ去った時間、かつての自分――が住み続けていると考えます。それらを無理に忘れる必要はありませんし、忘れることもできません。むしろ大切なのは、まずしっかりと「迎え入れ」、十分に向き合った後で、「送り出す」という一連の過程を経ることだと言えるでしょう。
一人で悲しみを抱えているとき、その重さは途方もなく大きく感じられます。けれど、同じ夜、同じ山を見上げる人びとがそこにいる。言葉を交わさなくとも、「共にある」という感覚そのものが、悲しみを分かち合う体験になります。送り火という一つの対象を介して、自分だけの悲しみが少しずつ外へとひらかれていく。これも送り火という集合的な儀式が持つ、癒しの力のひとつだと思います。
また、揺らめく炎をただじっと見つめ続ける行為そのものにも、心を整える働きがあるといえます。言葉や思考をいったん脇に置き、ゆらぎに心身を委ねる時間は、瞑想やマインドフルネスにも通じるものです。こころの奥に沈んでいた感情が炎の熱と光に照らされ、少しずつ輪郭を持ち始める。中には涙がこぼれる方もあれば、ただ静かに満たされる場合もあるでしょう。こころの奥深くにあった何かに輪郭を与え、それを心の外側にそっと置く場所をつくること――これは、喪の作業であったり、カウンセリングという営みの本質に通じることのように思えます。
カウンセリングの現場でも、よく似たことが起こります。大切な人との別れ、過去の自分自身の傷つき、忘れようとしても忘れられないものごと。それらを無理に忘れようとするのではなく、まず十分に悲しみ、誰かとそれを分かち合い、そして静かに送り出していく。その過程を急かされず、安心できる場で行えることこそが、こころの癒しにつながるのだと思います。
夜空に浮かび上がる炎を見上げながら、こころにとっての「送り火」について、あらためて考えさせられた夜でした。皆さんのこころの中にも、そっと迎え入れ、そして丁寧に送り出したい何かがあるかもしれません。この夏、少し立ち止まり、ご自身の心に耳を傾けてみてはいかがでしょうか。もしおひとりで向き合うことが難しいと感じたときは、どうぞお気軽に当オフィスまでご相談ください。




コメント